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岡山地方裁判所 昭和43年(わ)687号 決定 1972年2月15日

主文

検察官より請求にかかる

被告人の昭和四三年一〇月三日付、一三日付(二通)各司法警察員に対する供述調書

同年同月一六日付、一七日付(二通)各検察官に対する供述調書

の取調請求を却下する。

理由

検察官は、主文掲記の各供述調書の取調を請求し、これに対し、弁護人は、右各供述調書は、被告人が勾留中痔疾による激痛に苦しんでいた間に作成されたもので任意性がないと主張する。

よって案ずるに、≪証拠省略≫を総合すると、次のような事実を認めることができる。

一、被告人は、昭和四三年九月二七日朝自宅から任意同行を求められて岡山東警察署に出頭し、程なく同署で逮捕状を執行され、翌二八日検察庁に送致され、同日勾留請求されて勾留状が発せられ、岡山西警察署に勾留された。次いで一〇月七日勾留期間が一〇日間延長されたのち、勾留期間満了の一〇月一七日夕刻釈放された。

二、被告人は、勾留前から痔疾に悩んでいたが、勾留直後ころから、排便時に脱肛があり、やがて出血を伴うようになった。当初は排便後手指で脱肛を還納していたが、排便時以外にも患部の痛みを覚えるので、取調官である易巡査部長にそのことを訴え、和室で取調を受けるようになった。しかし痔疾の症状はますます悪化し、痛みも激しさを加えていったので、医師の診察を受けたい旨申出、一〇月五日に至り岡山日赤病院外科の杉本和夫医師の診察を受けるに至った。

三、杉本医師は、一〇月五日、六日、七日、九日、一二日、一三日、一五日(二回)、と連日のように岡山東署の依頼により同署で易巡査部長立会のうえ、被告人を診察したが、症状は内痔核脱肛、嵌頓であって、初診時既に肛門の一二時から六時にかけて壊死状を呈し出血が認められたが、この症状は同日以前から続いていたものと思われた。そして、翌六日にも同よう症状が続いていた。同医師は易巡査部長に対し、普通食に代えて重湯を摂らせ、排便しないようにし、保温、入浴を心がける必要があると指示した。翌七日も右のような症状が続いており、医師の指示が守られていなかったようであるが、警察の要請によりそのつど往診していた。九日に至って局部が不潔のため肛門周囲炎をおこし激痛を訴えていたので、坐浴をすすめた。一二日には右肛門周囲炎が膿瘍となり排膿が認められ、このような症状が現われてからは痛みが最も激しくなった。一三日、一四日と膿の手当をしたが、一四日には出血が激しく加わり入院加療の必要ありと認めたので、そのことを易巡査部長に告げ、かつ同人の依頼によりその旨の診断書を作成し、係官に交付した。このような症状のため初診時から疼痛が激しく、遅くとも九日ごろからは発熱も加わり、被告人はかなりしょうすいしていたが、杉本医師としては患者との対話を禁じられているので専ら易巡査部長に病状や、手当について指示するに止まり、鎮痛のため麻薬を施用することは、入院患者でもないし、拘禁中でもあったから、適当でないと判断し、当初から患部を消毒し、薬剤を塗布して、嵌頓を還納する手当をし、炎症が生じて後は抗生物質を投与していたが、微温湯による坐浴や、重湯食を摂ることが治療上不可欠なのでそのことをそのつど勧めたにかかわらず実行されなかった。

被告人は、一〇月一七日釈放直後に日赤病院に入院したが、肛門周囲炎があり排膿していたためと、身体が衰弱していたためから手術をなしえず、やがて手術不適な寒季に入ったため、手術をしないままに、内痔核の症状が一応治まるのを待って翌一一月二日退院した。

四、右勾留期間中、入浴を許されたのは被告人の言によれば、一〇月五日西署において、また同月一〇日東署において、の計二回であった。

また、保温のための毛布の差入は許されなかったが、備付毛布を余分に貸与してもらっていた。

五、そして、九月二八日付の身上、経歴等に関する供述調書が作成されたのに続き一〇月三日付、四日付、五日付、六日付、七日付、八日付、一〇日付、一一日付、一三日付(二通)、一五日付のいずれも易巡査部長による被疑者供述調書が、一〇月五日付波多野検事による、一〇月一六日付、一七日付(二通)各古川検事による同よう調書が作成されている。

これら調書作成のための取調の間、被告人は警察署においては和室で時に横臥することを許されながら、また検察庁では椅子に腰かけ毛布で下半身をくるみながら、取調を受けていたが、両手を尻の下に敷き、患部の痛みをおさえ堪えるようにしていた。

六、被告人の弁護人は、逮捕当日三名、翌日一名選任されており、勾留期間中を通じて時に被告人と面接していたが、一〇月一五日、うち三名の弁護人連名にて同月一四日付前記杉本医師作成の診断書添付の釈放申請書を岡山地方検察庁検事正宛に提出しかつ、次席検事に同ようの要望をした。このため、当時捜査主任官であった湯沢検事や、被告人の取調に当った古川検事は、被告人の前記のような病状について一応承知していた。

七、右杉本医師の診断書には、「(一)内痔核、脱肛嵌頓、(二)肛門周囲炎及膿瘍、上記により頻回の嵌頓をおこし、還納を往診により行っているが、嵌頓部壊死、肛門周囲炎を併発し、出血、化膿を示しているので、入院加療の必要があるものと考える」とある。

ところで、「任意になされたものでない疑のある自白」とは、要するに、不当な外部的圧力による疑いのある自白を指すものと解されるから、被疑者が病気中であったというだけのことで、その際の自白に任意性なしとなしえないことは当然である。病気そのものは取調側の作為のない、専ら被疑者側の一方的主観的事情にすぎないからである。しかし、被疑者がそのような肉体的ないし精神的悪条件下にあることを取調側がことさら意図的に利用しようとするならば、かかる取調側の態度は、外部的圧力として被疑者の内心に投影され、意思を制約するに至るであろうから、自白の任意性に影響を及ぼす外部的圧力と評価せざるを得ないであろう。また、かりに取調側に右のような意図的態度がなかったとしても、少なくとも病状を取調側が認識しておりながら、取調を継続する場合においては、かかる取調側の態度が被疑者に外部的圧力として映じないよう格段、細心の配慮を払ったうえ供述を求めたものであることが明らかでないかぎり、被疑者に与える心理的影響は、前記意図的に利用する場合と同ようのものであろうから、やはり任意性に影響を及ぼす外部的圧力とみざるを得ないであろう。これを本件について見ると、前認定のように被告人は、一〇月五日杉本医師により初めて診察を受けた当時、既に相当症状が悪化し激痛を伴う内痔核脱肛嵌頓に罹患し患部は既に壊死状を呈していたのであって、少なくともその数日前から同よう症状が発生しつつあったものと認められ、その後、日を経るにつれ症状は悪化の一途を辿り、発熱・激痛に悩まされる毎日で、入院加療を要する症状に至っていたと言える。

このような状態にあった被告人に対し、取調官はほぼ連日のようにその取調を継続している。(前記のように、九月二八日から一〇月三日までの間に作成された供述調書は存しないが、この間取調がなされなかったと見るべきでなく、むしろ、被告人が否認していたため作成に至らなかったものであろう。)勿論取調官において右のような被告人の健康状態をことさら利用し、自白を求めようとした形跡は明らかでなく、また、入浴・保温・食事等についてもことさら被告人だけを不利に処遇した節も全くない。むしろ、時に横臥を許し、房内で毛布を余分に貸与し、医師による治療手当を講ずるなどして、相当の配療を尽くしていたと認められるのである。しかし、内痔核脱肛嵌頓、殊に壊死に至った場合の患者の激痛、不快感が極度のものであることは、経験者でなくとも推測するに難くなく、(杉本医師は、種々の痛みの中でも最も激しいものの一つであるという。)肛門周囲炎・膿瘍に発展するに至ってはさらに激しさを加えるのであるから、そのような病状にあることを知悉しながら(前認定に照らし、取調官は右のような病状を知悉していたものと認められる。)取調を継続している以上、被告人としては、すみやかに取調に応じて自白しないかぎりその苦痛から解放され疾病の手当を受けるすべはないものと感じ取ったであろうことはみやすい事理である。取調官のなした前記のような配慮によっても、被告人の苦痛が除却ないし軽減されたとは認めがたく、むしろ苦痛が継続し、日を追って激しくなって行ったことは杉本医師が連日、終りには一日に二回も往診していること自体から、また同人の証言内容からも明白であるにかかわらず、前認定の程度の配慮をもっては、取調官として、取調の継続が被告人に外部的圧力として受けとられないよう細心の配慮を払っていたとは到底言いがたい。

証人易教一、同古川元晴の各証言によると、被告人はむしろ紳士的で、取調に対しても協力的であったし、自白の任意性を疑われるようなことは全く心外であるという。

被告人は相当の地位と教養のある社会人であって、取調に当り粗野な態度を示したり、反抗的態度や敵意を強く示していたものとは考えがたいから、或いは右証言のような取調状況であったかとも推測されるが、しかし、被告人の病状が前認定のとおりであり、そのような病状下で取調を継続することの被告人に与える心理的影響につき、取調官において格段細心の配慮を払っていたものとは到底認めがたいものであること前述のとおりである以上は、結局前記結論が左右されるものとは解しがたい。

従って、被告人の病状が極めて悪化していたと認められる一〇月五日以降はもとより、その悪化の兆候が当然現われ初めていたと認められる一〇月三日付供述調書についても、その任意性について疑いあるものと言う外はないから、主文掲記の供述調書についての検察官の取調請求は却下すべきものである。

(裁判官 谷口貞)

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